タンク建設少年隊

昭和45年3月
24才

案じるより念じることです 玉は磨かなければ宝となりません

昭和45年3月6日、北海道根室市花咲港「道漁連燃料基地」に竹森要(24才)、尾脇孝生(17才)、追口三則(17才)、竹森信一(16才)が地下足袋を履いて立っていた。ここの現場は5,000KL(直径21m高さ16m)と1,000KLの油タンク建設で、4人はその組立作業メンバーであった。レッカー車が入れず、足場や治工具は担いで運び、すべての動力源は旋回式デリックを組立て、ウインチを操作しての人力を頼りのタンク組立て工法であった。

着工から1週間が経って底板の配列作業が終わる頃、隣の敷地でも600KLタンク工事がレッカー車を使用して始まった。地元の人達は12人の大人数で組み始めたが、段取りが幼稚でなかなか進捗しなかった。

5,000KLタンクの組立て半ばに北海道ではめったに上陸することのない大型台風が直撃した。屋根骨組立前でしかも側板をトップ迄仮組だけで風に対しては最悪の状態であった。上陸間違いなしの情報に何十本もの屋根骨を使って側板を補強、ありったけのトラワイヤーを張り巡らして対策を施した。それでも秒速34mの強風は鋼板の側板がまるでブリキ細工のように翻弄され、繰り返しタンクを大きく揺さぶり続けた。私たちは現場へ様子を見に来ていたがどうすることも出来ず、その度に「もうダメだ!」と大声を発して叫び続けた。しかし、事前に頑丈に養生したのが功を奏し、辛うじてタンク倒壊の危機を免れた。

少年(?)団相手の我が陣地は若さに任せて資材を担いで現場を走り回り、足場の上でも飛び跳ねてタンクを組立てた。隣はタンク建設の経験がなく工法も勝っていたとはいえ、何倍もあるこちらの5,000KLの組立ては、600KLタンクとほぼ同時期に終わった。工事の完成まで要した日数は50日間。少年隊が見事にやり遂げたものであった。

花咲港は遠洋漁業基地として知られていたが、花咲ガニが採れることでも有名だった。タンク建設現場の周りは海に囲まれており、昼休みや仕事帰りの夕方は港湾の縁で釣り糸をたれ、こまいが沢山釣れた。毎日の釣果をタンクの廻りに吊るし、干している内にタンク何周分にもなった。

休日には景勝地の車岩付近や、北方四島が眼下に見渡せる根室半島の納沙布岬へ遠征、40cmもあるアブラコや鰍(かじか)を釣り、ツブ貝や昆布等を採ったりと、結構ゆとりを楽しんだものである。

この頃は毎年のように天草から何人かの少年たちが入社してきた。

弟の治が若い子達を引き連れ、厚木のバッチャープラント建設現場に乗り込んだ。生コンを生成するサイロでミキシングするホッパー口が13ヶ所もある手の込み入った工事であった。メンバーは竹森治(22才)、平石盛敏(20才)、尾脇孝生(17才)、竹森信一(16才)、森田輝雄(16才)で平均年齢が18才と正に少年隊であった。

大手の建設会社の現場監督から「子供だけのメンバーにこんな難しい仕事はさせられない。子供たちは即刻引き上げ、ちゃんとした職人と入れ替えをしなさい。」と厳重な抗議を受けた。私は直ぐに元受会社に電話を入れ、面談したたい旨をお願いした。担当者もすぐに現場に表れて話し合いが始まった。開口一番「ここは子供の遊び場ではない。プロの職人を連れてきなさい。」と荒々しい言葉を浴びせられた。治は必死の形相で「1週間だけ様子を見て頂く猶予を下さい。」と頼み込み、建設会社、元請け双方の担当者は不安を抱きながらも渋々了承して下さった。

約束の1週間後にはサイロの側板9段とトップアングルまで組み立て、内面の溶接作業も終了していた。不安で見ていた建設会社の現場監督も、若者達の身軽な動きと働きぶりに触発されてか一緒に手伝って下さった。私も途中に何度か現場に行ったが、その都度、担当者の引き攣った顔が緩んでいくのが感じとれた。工期も予定より早く完成し双方の担当者からは、綺麗な仕上がりとともに大変感謝された。私も無理なお願いをお聞き頂いた御礼を申し上げた。