優しい言葉

昭和53年11月下旬
33才

人を愛し、人と戯れば英知を得られます

昭和53年11月、茨城県那珂湊市し尿処理場の150M3有水ホルダーの内槽取替工事と基礎補修を含めた工事を市から受注した。落札した場合は、3年以上営業している法人会社の工事保証人が必要であった。仕事は頂いたもののお願いできる会社は無く、日夜悩んでいる時に、平山社長が他の工事打ち合わせで来社された。平山社長は私の憔悴した表情を目敏く感じ取り、事情を聞いてくれ、話を聞き終わると、いとも容易く「なぁ~んだそんな事、私が保証人になってあげましょう」と、優しい言葉に胸が詰まり「ありがとうございます」が声にならなかった。 -感謝-

早速、基礎部分の工事を平山社長に依頼した。この頃に那須設計工務でも、時々市の仕事をやるようになり、何度か交互に保証人を引き受けたこともあった。

平山忠社長は温厚な方で、仕事の打ち合わせやいろいろな御相談を持ちかけると、まず「竹森さんはどうしたいのですか」或いは「私はこうなさった方が良いと思われますが」と何度も相手を慮って語り、ある時は歳の離れた弟を労わるように、ときには、自分の息子に示すような優しい眼差しで、私の戯言に何時間も付き合って下さった。

東京の住吉町でお世話になった下宿屋の「おかみさん」、その小西セツさんのお嬢さんが平山社長の奥様であったご縁で交流が始まり、平成3年5月2日(享年67歳)にご逝去されるまでの21年間の永きに亙り、温かい思いやりの交流を頂きました事、心の奥深く大切にしまっておきます。 -合掌-