苦難の工場解体

昭和55年5月
35才

人生は後悔の繰り返し、後悔もしますが満足もします

ある日、大成鉄工に出入りしている方から、土地が江戸川区役所に売却され、いよいよ工場が解体されるらしいとの情報を頂いた。

お世話になっていた折、常々将来自社工場を持つとしたら是非こんな建物を造りたいと強く念じていた。横幅22m、屋根頂部迄16m、天井クレーンの揚程12m、長さ60mの建物は威風堂々と聳え立ち、もっとも理想的な工場像であった。

浦田弁護士は大成鉄工の解散管財人で以前から面識のある方だった。工場用地はまだないが工場が解体されるのであれば、この巡って来た最大のチャンスを生かし、確保しておくべきであると考えた。

すぐに銀座で開業している浦田法律事務所に連絡をとり、翌日に浦田弁護士を訪問した。「工事は地元の不動産会社へ、建物解体費700万円、基礎撤去整地費900万円の一括で発注した」とのことだった。浦田先生に事情を説明してご理解頂き、解体整地を請け負った不動産会社を紹介して頂いた。

不動産会社「東商事」は江戸川区に事務所があり、事前に訪問の許しを頂いていたので穏やかな表情の初老の紳士、東社長は快く迎えて下さった。失礼を顧みず突然の訪問、唐突なお願いのご無礼を深く詫びた。

早速本題に入った。「解体費は一切頂かなくて結構ですから、建て屋の解体を是非、私共にやらせて下さい」と頭を下げた。東社長は「もう解体業者に工事は発注したので要望には添えない」とおっしゃった。それでも初対面の若造の戯言に2時間余り耳を傾けてくださり、対話の中で東社長は「私は早くに両親を亡くして自分の力で不動産会社を興した」と語り、とても苦労人である事が理解出来た。「管財人の浦田弁護士から貴殿のことで電話をもらい、先生には「もう解体業者は決まっています」と伝えていました。先生が「九州から出て来ている好青年だから、是非会って話だけでも聞いてやって下さい」と言われたので、正直言って私は、先生のご紹介だから顔を立て、会うだけの予定でした」と東社長は心の内を語ってくれた。

私は以前から大成鉄工にお世話になっていた事、この建物に対する憧れと思い入れを延々と語り、東社長の情に縋った。真剣に聞いていた東社長は、「本日はこれでお引取り下さい。貴方の気持ちは十分に解った。私も東北から上京して、死に物狂いで頑張っていたあの頃のあのエネルギーが貴方の話を聞いているうちに蘇ってきたような気がする。解体業者に相談してみましょう」と善処を約束してくださった。

4~5日経っても、なんの知らせも入らず「やはりだめだったのだろうか」と日毎に滅入っていった。一週間後の夜10時30分、電話のベルが一際大きく鳴った。こんな遅くに誰だろうと思いながら受話器を取ったら、とても弾んだ声で「竹森さん、例の件うまく行ったので、明日、事務所にいらっしゃい」と声の主は東社長だった。

「解体業者がなかなかうんと言わず、代わりの物件を任せる条件でやっと納得させた。直ぐに貴方に教えてあげたくて、夜遅いのもかまわず、つい電話をしてしまったよ」と、我が事のように満足そうな声でおっしゃって下さった。

翌日、事務所で東社長は「本来だと、工事費として業者に1,500万円支払うのだが、貴方は上物を頂ければ工事費はただで良いと言ってくれた。しかし、基礎解体及び整地工事費の800万円は支払って上げましょう。その代わり上屋の撤去工事は君の望む通り自由にして良いから無料でやって下さい」と。 -感謝・感激- -合掌-